僕は、仕事は、何をすればよかったのかな?

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うつ病休職1276日目です。この1ヶ月間、毎日がフラッシュバックでした。グランダキシンを自分の意思で飲むことをやめまして、その反動なのでしょう。もうめちゃくちゃしんどくて、フラッシュバックというよりは、もう「多重人格」や「幻聴」ではないのか、そういう感じです。あまりに辛くて、またカウンセリングに行き始めました。

主治医に「グランダキシンを飲んでない、辛いけど、なんか飲みたくないんです・・・」と言うと、「飲まずに日常生活を送れているなら、無理して飲まなくて、いいんですよ。」というお返事。続けて「まあ、『薬に頼らず精神力で乗り切るんだ!』というのも、それはそれで、ありかもしれませんねぇ」というお返事。主治医の顔には「無理して我慢せずに、飲めばいいのに、お馬鹿だな~。でもアドバイスしても聞かないだろうから、放っておこう」と書いてありました(笑)でも、しかたがありません。飲みたくないものは、飲みたくない。

フラッシュバックが発生すると、私の脳は22歳の時点に引き戻されます。「両親と祖父母4人がかりで新卒就職した出版社を辞めさせられた時」です。

そして「僕は、仕事は、何をすればよかったのかな?」と延々とつぶやくという症状です。ひどい時は、テーブルの木目を指でなぞりながら・イスや柱に話しかけながら・風呂のタイルを指さしながら、「僕は、仕事は、何をすればよかったのかな」と延々と言い続ける。もう本当にノイローゼ。

40代になり、妻子もいるのに、フラッシュバックが発生すると「僕は、仕事は、何をすれば、よかったのかな?」と繰り返す。もう本当に、病気なんだな~と思います。

私の祖父母と両親は、いったい何がしたかったのでしょうか。

「長男が、この家から離れることは、絶対に許さん。」「そげなことは、許されんぜ!!!」と怒鳴りまくった祖父。祖父の意向を受けて「とにかく出版者は辞めなさい、辞めなきゃ親子の縁を切る」といった父。なにもできずにオロオロするばかりの母。それでも「いやだ、辞めないよ。本が好きだから、本づくりを仕事にして、何が悪いの?」という私。そして、最終兵器「泣き落し」を発動させた祖母。

祖母に泣かれて「ああ、わかったよ、もういいよ、辞めればいいんでしょう、はいはい、もういいよ。」と自暴自棄になった私。

父は、私が辞めると言ったのを聞いて「それでいいとよ。まだ若いんだから、仕事はなんか探せばよかよ」と安堵。母も安堵。祖父母は「当たり前」という感覚。

福岡県庁職員だった祖父&父にとって、出版社とか異次元の世界で、まったく想像すらできなかったのでしょうか。祖父&父にとって、「仕事=役所で、民間企業とかありえない」という感じだったのでしょうか。

でも、私は、10歳~16歳の頃、さんざん父に質問してきたんですよ。

私「お父さん、僕は仕事は何をしたらいいと?」

父「自分の人生なんだから、自分で好きにしていいんだよ。どこに行ってもいいんだよ。自分で切り開けばいいんだよ」

私「でも、お母さんは『あなたは、長男なんだから、農家のあととりなんだから』って何回もいうから・・・」

父「気にするな、まあ若い頃は好きにして、40歳くらいになって福岡にもどってくればいいんじゃないかな」

こんな会話を、何度もしてきたんですよ。

でも肝心な時に、父は私を守らなかった、嘘をついた。祖父が激怒した際、祖父に向かって「息子には息子の人生があるんですよ、お義父さん。」と言って、祖父と戦って欲しかった。

でも現実の父は、婿養子。祖父には、まったく逆らえない。

祖父から説教されて、私に言ったセリフは「出版不況と言われているのに、将来性なんかないだろう。とにかく出版社なんか辞めてしまえ、辞めなきゃ勘当だ、親子の縁を切る。すぐ辞めろ」でした。もう本当に、突然のことで、22歳の私の脳では、処理できなかった。

それでも、「いやだ。ようやく仕事に慣れてきて、周囲の人にも認めてもらって、これからようやく本格的に本づくりを学ぶんだよ。辞めないよ。」と反発する私。

父は「仕事が軌道にのったら、辞めにくくなる、だから今すぐ辞めろ。」と反撃。

私はそれでも反発、そうこうしているうちに、祖母がやってきて、必殺反則技の「泣き落し」・・・

あの時、祖母が出てこなければ、私は出版社を辞めていなかった。本当に悔しいです。

過去のブログでも、同じようなことを書いていますが、出版社を7ヶ月で辞めて、それから7年間、貴重な20代をフリーターとして時間を費やしてしまった。

もう本当に、悔しいのです。

私は、新規開拓営業だけは得意です。29歳~40歳で、新規開拓したのは100社を超えます。プロ野球も攻略した、上場企業なんて当たり前。電力会社や鉄道会社にも、テレアポ~商談~提案までは進捗があった(私が、うつ病で休職中に、後輩がリベンジ受注してくれた。)

私の新規開拓能力を褒めてくれた人は、ありがたいことに、多々います。10年も法人営業をしていれば、飛び込み営業&テレアポで、上場起業やプロ野球と新規取引できるようになれたのです。

でも、私は、本作りをしたかった。本が好きだから。本づくりを通じて、企業経営を学び、人脈を作る。40代で福岡に戻り、何かしら起業して、経営者として生きていく。福岡を拠点に、活躍する経営者になりたい。そういう青写真をもって、出版社に飛び込んだのに。

やっと周囲の人から認めてもらえて、いまから仕事が楽しくなるぞ、というタイミングだったのに。22歳から、40歳まで、出版者で仕事をしていれば、もっともっと、成長できたと思うのに。テレアポでプロ野球を攻略する以上に、もっと成果を挙げられたと思うのに。

本当に、悔しい。

無念であります。

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