祖父は激昂、祖母は泣き出し、母はオロオロ。祖父母と両親4人がかりで、新卒で就職した出版社を辞めさせられた

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うつ病休職1179日目です。妻から「頼むから薬を飲んで。あきらかに様子がおかしいよ。いま無理して断薬しても、辛いだけでしょう。あなたは頑固だから、意地で止めようとしているんでしょう。お薬をやめるのは、引っ越してフラッシュバック症状が軽くなってからでも良いでしょう。」と説得されました。

というわけで、今日からグランダキシン(1日3錠)を復活します。ちなみに就寝前のデパスは毎晩、飲み続けています。

それにしても、あれだけ「精神科のお薬を飲むのは極力やめてほしい。私のイトコが自殺したのを忘れないで」と言っていた妻から、「薬を飲め」と言われるとは。妻は「明らかに症状が軽くなる、メリットがあるなら飲めばいいじゃん。」とあっけらかんとしています。本当に同一人物なのか?まあ、どうでもいいや。とりあえず、妻に言われたとおりに、しよう。

そうだ、妻からもう一つ、言われたことがあります。「親子関係やフラッシュバックを専門にしている、カウンセラーを見つけたよ!ここに行ってみたらどう?金額も手軽だし。」こう言われまして、さっそくカウンセラーに電話して初回予約を入れました。来週、カウンセリングルームに行ってきます。

妻は最近、露骨に私の両親の悪口を言うようになりました。それもそのはず、私自身が、親や祖父母への恨みつらみを、延々と妻に語っていたから、その影響です。うつ病で、両親や祖母や弟に会えなくなった私に代わり、妻がずっと、実家とのやりとりをしてくれていたのです。しかし1年ほど前から、妻も私の実家に行けなくなってしまいました。あれだけ、両親の文句を夫から聞かされたら、嫌になってしまうのも仕方がないだろう。

私は、新卒で出版社に就職したのですが、ようやく仕事に慣れた頃、両親から電話がありまして「とにかく一度、帰省してくれ。祖母が危篤とか、嘘ついてでもいいから、帰ってこい」と言われます。帰省したら、祖父が待っていました。祖父との会話はこんな感じでした。ちなみに、祖父母は、私が出版社に就職したことを知らなかったのです。

祖父「東京の出版社に就職?そげなことは許されん。辞めろ。お前が福岡を出たら、このイエはどうなる。イエが存続できなくなるぜ。出版社なら福岡にもあるやろが!」

私「じいちゃん、福岡にあるのは出版社じゃなくて、印刷会社だよ。やりたい仕事をして、何がわるいの?憲法にも【職業選択の自由】と書いてあるじゃないか」

祖父「そんなことは知っておる。とにかく許さん、お前のお父さんは何と言っているんだ」

私「お父さんからは、自分の人生なんだから、自分で考えろ、と言われてきたよ」

祖父「長男に、そげな教育をしとるとか!!許されんぜ!アイツ(父)を呼べ!」

ここで、私と父がバトンタッチ。婿養子の父は、祖父には逆らえないのです。祖父からやかましく説教されたのでしょう、後ほど父から「とにかく今の出版社は辞めろ」と言われます。

そもそも、就職前から父親から反対されていたのですが、若気の至りもありまして、両親から何を言われても馬耳東風。どうってことはない。知ったことではない。しかし、祖母に泣かれたのは痛かった。 あれは、辛かった。

母は4人姉妹の長女で、婿養子をもらって、私が長男として生まれる。私は、生まれた時から、「長男だ~あとつぎだ~」と言われて育ちます。しかし弟が二人うまれたので、3歳から10歳くらいまでは、祖母が母親がわりだったのです。その祖母から、泣かれると、弱かったのです。 祖母から「あんたはもう帰ってこんとね」と泣かれた時に、強烈な罪悪感に包まれてしまいました。結果として、この1ヶ月後には出版社を辞めてしまいます。

出版社を辞めるときは、社長・上司・先輩が送別会を開いてくださり、「ようやく慣れてきて、今後に期待していたのに残念だ。いつでも戻っておいで」と快く送り出してくださいました。送別会とは別に、いつもは厳しかった女性の先輩が、「ニューヨークグリル」という高級レストランでディナーをおごってくれました。いつもは厳しかった男性の先輩が、心がこもった手紙と、プレゼントをくれました。

その後は、【福岡を出れば罪悪感を感じる。福岡にいれば虚無感を感じる。】このような人間になってしまいました。そこから先は、まさに自暴自棄。福岡市中央区天神の親不孝通りという歓楽街でバーテンダーをして、女性と遊んでばかりだったのも、自暴自棄だったのでしょう。

23歳から28歳までの、社会人として基礎を築くべき大切な時期を、私はグウタラ人間として過ごしてしまいました。司法試験の勉強をしている、というのを自己正当化の理由にして、実態はバーテンダーとパソコンインストラクターと海外放浪、つまりはフリーターをしておりました。

26歳の時に、祖父が亡くなったのですが、最後に病院で、祖父に会った時。私が祖父を見つめる視線は「虚無」でした。孫としての愛情のかけらもない、能面のような顔をして、祖父を見つめていました。危篤の祖父が、残された力で、私の手を握り締めたのですが、私の心はまったく動きませんでした。「俺の人生を台無しにした、諸悪の根源め」このように、思っていました。家族として、ずっと一緒に過ごしてきた祖父ですが、まったく涙が出ませんでした。

ちょっと書き疲れたので、今日はこれで中断します。

ああ、そうだ。コンプレックスやトラウマって、【比較対象】があると、増幅してしまうのかもしれません。実は、私と同じ時期に、高卒の弟が就職活動をしたのですが、弟の就職先は父が見つけてきたんですね。弟は、小学生の時から「宮大工になりたい」と言っており、父が就職先を探してきたんです。県庁勤務でしたから、なにかしらコネをフル稼働させたのでしょう。弟は、関東の老舗の工務店に就職しました。

弟の就職先は、父が世話してやるし、両親も祖父母も認めている。一方で、自力で就職した私は、両親と祖父母4人がかりで、よってたかって叩き潰された。この対比が、この比較対象が、私のコンプレックスをますます増大させてしまったのです。

今日は、これでやめます。疲れた。

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