終戦記念日だけどメンタル落ちて護国神社に行けなかった

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うつ病休職982日目です。「今年こそは終戦記念日に護国神社に行こう」と思いつつ、結局、いけませんでした。

台風10号がなければ、行っていたと思います・・・というのは、言い訳です。本気で「行かねば」と思うならば、台風だろうが体調不良だろうが行くはず。自分の意志の弱さにうんざりします。

「台風か・・・今年は花見の時に、護国神社に行ったから、もう行かなくていいかな。後で近所の慰霊塔に行って、頭を下げてこようかな。」とか自分でぶつくさ言って、行くのは辞めた。

終戦記念日なので、祖父との思い出でも書こうかな。何度か書いていますが、亡くなった私の祖父は、福岡県護国神社で働いていました。たしか大正7年生まれ、だったかな。福岡県庁で勤務しており、傷痍軍人の恩給や、敗戦後の大陸からの引き上げ援護などにも関わっていたそうです。このような職務についていたから、県庁を退職後に護国神社で働くことになったのだと思います。ちなみに、私の弟は、護国神社の神主さんに命名してもらったと聞いたことがあります。

このような祖父ですが、孫の私たちには、戦争について語ることは、ほとんどありませんでした。私たちが何か質問しても「えずかったとじぇ(怖かったよ)」とだけしか、言わなかったような記憶があります。

祖父は酒豪で、毎日、熱燗を飲んでいました。自分で炒めた砂ずりをツマミに、毎日、日本酒を飲んでいたなあ。

孫に対しては、寡黙な爺さんでしたが、酒飲み仲間とは、いつも大声でしゃべっていました。護国神社で働いていたような爺さんなので、酒飲み仲間も、同じような価値観の人たちがそろっていたのだと思います。記憶もあやふやですが、ふと思い返すと、爺さんの酒飲み友達は、皆さん「シャキッ!!」とした方ばかり、妙に貫禄ある爺さんが多かったような記憶があります。

私の実家と、祖父母の家は、隣同士でした。いつも遊びに行っていました。孫に対しては優しい祖父でしたが、ちょっと苦手でした。理由は、私の父に対して冷たかったから。父は婿養子なんですけど、ソリが合わずに、私たち兄弟は、いつも気まずい思いをしていました。祖母と母は、もっと気まずかったと思いますが。

そうは言っても、隣同士に住んでいるし、農家だったので農繁期は手伝いもするし、正月・お盆・お彼岸・節分・端午の節句など、なにかイベントがあるたびに一緒に食事をしていました。いやイベントがなくても、一緒に食事をしていたな。「同居」ではないが、すぐ隣に住んでいるので、とても近い関係でした。

私が大学を卒業するまでは、祖父との関係は、ごく普通でした。しかし、私の就職を機に、祖父のことが大嫌いになりました。私は大卒後、東京の会社に就職したのですが、祖父はこのことが許せなかったらしい。「なんで長男が東京に行かないかんとや!福岡で働けばよかろうが!なにがなんでも、連れ戻せ!」と私の両親に怒鳴り散らかしたのです。

東京で働いていると、ある日、父から電話があり「とにかく一度、帰ってこい」と言われて福岡に帰る。すると祖父は怒鳴りちらし、祖母は泣き崩れ、父は辞めろと言い、母はオロオロする。生まれた時から「長男だから、あとをつげ」と洗脳されて育った私は、祖母の涙に弱かった。結局、辞めて実家に帰りました。これ以来、祖父のことが大嫌いになっちゃいました。

祖父の晩年、病院に見舞いにいったら「ああ。これは、もう死ぬな」という危篤の状態でした。最後の最後、ギリギリ祖父の意識がある時に、お見舞いに行きました。祖父は、私の手をしっかり握って、なにか言いたそうにしている。でも言葉は出ない。

当時、私は、祖父のことが嫌いだったので、手は握っているが、無表情でした。たぶん私の目は「虚無」だったと思います。いや「敵意」だったかも、しれません。誰がどう見ても、「祖父の危篤に駆けつけた、孫の顔」とはかけ離れた、愛情の欠片もない表情をしていたと思います。

幼い頃から、散々お世話になって、ほぼ同居状態だった祖父ですが。私が、発達障害の当事者だからか?よくわかりませんが、祖父のことが許せず、危篤になっても、葬式でも、悲しいという気持ちは、まったくありませんでした。

海軍で戦い、県庁で引揚者援護や傷痍軍人のお世話をし、護国神社で働き、自民党の選挙ボランティアをしていた祖父。こんな祖父の隣に住んでいたのに、私は完全な自虐史観の持ち主に育っておりました。教育というのは、本当に恐ろしいなと思います。

ちなみに、私が完全に自虐史観と決別できたのは、うつ病になった後でした。その後、護国神社に行ったとき「大正生まれの若者は7人に1人が戦死した」という掲示物を読みました。自虐史観との決別以来、戦争に行き、戦後復興に尽力した大正世代である祖父に、畏敬の念を感じ、感謝の念を持つことができるようになりました。

・・・と、ここまで書きながら、現在もうつ病の影響がある私は、2年以上、すぐ隣の実家に行くこともせず、祖母・両親と会うことすら、していません。今日はお盆ですが、当然ながら、仏壇に手をあわせることもしていません。自分の気が向いた時に、墓に行って、祖父が好きだった日本酒のワンカップを墓前にお供えするだけです。我ながら、性格的にかなり歪んでしまったなあ・・・

今日は終戦記念日です。英霊の顕彰と、領土防衛は、私たち生かされている者の責務です。家族・故郷・祖国のために、散っていかれた英霊の皆様に、感謝の気持ちを・・・

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