【新元号】知覧特攻平和会館で令和を知った。

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うつ病休職846日目です。

平成の次の、新たな元号が決まりましたね。私が令和(れいわ)を知ったのは、知覧特攻平和会館の館内でした。

◎家族族行で宮崎・鹿児島へ

3月31日~4月1日の1泊2日で、家族旅行で宮崎・鹿児島に行ってきました。

今年の花見は、ぜひ知覧か靖国に行きたいと思っていたのです。日帰りで靖国神社に行くことも真剣に考えていたのですが、最近つかれやすく飛行機に乗ることもしんどいので、今回はパスしました。来年こそ、行きたいと願っています。

知覧の特攻平和公園で花見をしたい、そう思い、妻と二人で1泊旅行で行く予定でした。娘たちは「ばあちゃん宅」で留守番をさせる作戦だったのです。ところが、うっかり口を滑らせて、娘たちも一緒に行くことになりました。

1日目は福岡発→宮崎経由→鹿児島市内で宿泊

2日目は鹿児島市内→知覧特攻平和会館→福岡着

このような感じでした。1日目も桜を満喫したのですが、1日目のことは次回に書きます。

◎元号決定前の様子

朝、ホテルでニュース番組を見ていました。まさに元号が決まる当日。テレビでも元号のことばかり、そのような印象でしたね。

私もソワソワしており、妻と「どんな元号なんだろうね、楽しみだね」そんな会話をしておりました。

林真理子さんが諮問会議に加わっているのが、意外な感じはありましたが。

ホテルをチェックアウトして、南九州市・知覧に向かいます。目的地は、知覧特攻平和会館です。

◎うつ病なりたての頃、知覧と鹿屋に行った

実は、知覧特攻平和会館に行くのは、今回が2回目でした。

うつ病になった直後、うつ病休職40日目くらいのタイミングで、ひとりで鹿屋基地の特攻資料館に行きました。ちなみに鹿屋基地は、海軍の特攻隊が飛び立った基地で、「永遠のゼロ」等の撮影がされた場所です。ちなみに私の祖父は徴兵で、鹿屋で勤務していたそうです。

その後、ちょうど2年前の今頃、妻と二人で知覧に行ったのです。ちなみに知覧は陸軍の特攻隊の基地です。

2年前に知覧・鹿屋に行った、あの頃は、「うつ病は少し休めば治るだろう」「はやく復職しよう」、毎日そう考えていました。主治医やカウンセラーに復職のことを話して「まだ早いよ」とたしなめられていたことを思い出します。

まさかこんなに、長い時間、休職することになるとは、そしてデザイン会社を退職することになるとは、夢にも思っていませんでした。

◎自殺せずに、いまこうしてブログを書いているのは妻子と英霊のおかげです。

知覧・鹿屋に行って数ヵ月後。うつ病発症してから1年後、パニック障害を併発します。

パニック障害と、うつ病を併発したら、5人に1人が自殺未遂という統計を知って、顔が真っ青になったことを思い出します。私も、刃物を見るのが怖くて、出勤する妻に「包丁を隠してくれ」と頼んでいました。自傷行為をやらかしそうで、けっこうヤバイ感じでした。

刃物全般(カッターやハサミやアイスピック)を想像するだけで怖かったのですが、「皿洗い担当」の私としては、毎日さわる包丁こそが、リアルに怖かったです。

当時の心境など、ブログに書くのはためらわれますが。本当にヤバイとき、妻のこと、娘たちのことを思って、「いや待て。まだ死ぬわけにはいかない。落ち着け」と自分に言い聞かせていた。ちょうど1年前の頃です。

これは私だけかもしれませんが、死や自傷のことを考えている時、妻子のことを考えても、すぐに理性を取り戻せなかったです。しかし知覧や鹿屋から飛び立った、特攻隊の若者のことを思うと、不思議に「す~」と冷静な自分を取り戻すことができたのです。このことは、また気が向いた時に、詳しく書きたいと思います。

ともかく、自傷行為をせずに済んだのは、英霊のおかげであったと考えております。このような経緯から、ぜひもう一度、知覧か鹿屋に行きたい、感謝を伝えたいと思っていたのです。

「いま死ぬわけないはいかない。特攻隊で散った若者に申し訳ないではないか。自ら死地に飛び込むなら、少しでも日本のためになる時に、飛び込もう。」いまでは、このように思っています。

◎知覧は桜が見頃でした。

桜は、「八分咲き~満開」といった感じで、まさに見頃でした。桜の数も多い。靖国神社・護国神社・知覧・自衛隊基地など、戦争にまつわる施設は、本当に桜が似合います。来てよかった。

知覧特攻記念会館に到着して、まずは周囲を散策しました。石灯籠の数がすごい、おそらく特攻で散った英霊の数だけあるのでしょう。石灯籠や特攻観音、三角兵舎、石碑、銅像など見て回る。この日は風も強く、ときおり散った桜がひらひらと舞い散る。何とも言えない、感慨深い瞬間でした。

◎娘たちの反応

娘たちには、特に語ったり、教えたり、ということは、していません。「両親と、知覧特攻平和会館に行ったことがある。」という記憶だけ残れば、それでいいと思っています。

7歳の次女にとっては、よくわからない、退屈な時間だったと思います。

長女は【日本はこうして世界から信頼される国となった/佐藤芳直著/プレジデント社】で特攻隊のことが書いてあったので、頭ではすこしわかっているのだと思います。

私の祖母は、92歳でまだ元気です。「兵隊さんのためにたくさん、千人針を縫った」これが口癖の祖母。長女には、知覧で展示してあった千人針(武運長久)を見せて、「ひいおばあちゃんに、千人針を見てきたよ、と言ってあげて」と言いました。

92歳の祖母と、小学生の娘たちの、会話のきっかけになれば、いいなと思います。知覧の名産品である、緑茶を買ったので、娘たちに持たせます。

ともかく、知覧に行けて良かったです。来年こそ、靖国神社で花見をしたい、そう願っています。

 

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