うつ病と発達障害の当事者が毒親論を語る。

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うつ病休職580日目です。

本日は「呪われし長男長女」というテーマで毒親体験談を書きます。

まずは私の生育環境から。

◎母は4姉妹の長女、父は婿養子

私の母は4姉妹の長女で、父は婿養子です。

母自身も、母の両親や祖父母から、さんざん「あとをつげ」と言われて育っています。

母にはイトコが20人以上くらいいて、男子のイトコも多かったそうですが、

祖父が長男で家督を継いでいたため、祖父の長女である母が家督を継ぐことになりました。

昭和50年頃、母と父は見合いで結婚し、1年後に私が生まれます。

◎私は生まれた直後から「あとをつげ」と言われて育った

もう大変でした。

私には、母の実家、父の実家、祖母の実家と、3つの「親戚の家」がありました。

母の実家からみれば、待望の長男。

父の実家からみれば、初の男子の孫。

祖母の実家からみれば、初ひ孫。

もう、どこに行っても「あとつぎができて良かったね~」という話のオンパレードです。

生まれた直後から、「あとつぎが・・」と聞かされて育ちます。

◎母も毒親、毒祖父母に育てられた

母も祖父母も、相続争いで散々に苦しんでいます。

祖父には兄弟が7人いたのですが、相続争いで2名とは絶縁状態になったそうです。

母は「自分が男の子なら良かったのに・・・」という苦しみを、生き地獄のように味わってきた女性です。

だからこそ、私という長男が生まれたことで、大変よろこんだらしい。

親戚から「あとつぎができてよかったね」と言われるたびに、母が喜んでいる姿を、強烈に記憶しています。

喜ぶ母を見る度に、心の奥底で「これは逃げられないな」という気持ちが芽生えていました。

◎発達障害の私は、「あとをつげ」という言葉を真に受けて育った。

私はADHDとアスペルガーの発達障害の当事者です。

発達障害者には、言葉を文字通りに受け取るという特徴があります。

私は「あとをつげ」と言われて育ち、当然にそのつもりでいました。

しかし私にとって不幸だったのは、両親から職業についてなんらアドバイスがなかったことです。

「あとをつげ」はわかったけど、仕事はどうすれば良いの?

子供の頃、さんざん両親に質問しましたが、いつも明確な回答はなく散々はぐらかされて育ちました。

◎父は役所勤務のストレスで体が弱かった。

父は獣医師資格をもって県庁に勤務していましたが、父に言わせれば苦渋の役所勤めでした。

家畜の診療がしたくて、家畜の診療所に就職した父は、給料が安かったそうです。

(現在は助成金などで給与水準は高くなっているそうです、念のため)

大卒で獣医資格までとったのに、短大卒で銀行勤務の母よりも給料が低かった。

これでは妻子を養えないということで、実兄から説得されて、泣く泣く家畜診療所を辞め、県庁に転職しています。

福岡県内の保健所で勤務し、産業廃棄物の担当になってからは産廃業者から散々に脅迫まがいのことを言われたらしい。

このような父なので、私が仕事について質問しても「公務員になれ」とは絶対に言わない。

「好きにせい、男だから自分で切り開け、世界中どこに行っても良い」が口癖でした。

父の口癖をきいて、母が「なに言ってんのよ、そんなのダメよ(あととり息子なんだから)ダメ。」という始末。

私が「じゃあどうすれば良いの?」と聞くと、両親そろって話題をそらす。

このような環境で、私は育ちました。

社会人になってから、疲れがたまると私は、このことを思い出し「俺はどうすれば良かったんだよ!」と怒りに変換される人間でした。

このことを精神科クリニック初診で主治医に話すと「大人になってしまえば、親の言うことなんかクソッ喰らえなんですよ。」

と言われて、目が覚めました。

「文字通りに言葉を受け取りすぎる」という発達障害の典型ですね。

これを教えてもらえただけでも、主治医には感謝しています。

◎自分自身の就職活動で問題が噴出する

いま思えば、父や祖父のように地方公務員になっていれば良かったと後悔しています。

もっとも、たとえ公務員になっても、耐え切れなくて辞めてたと思いますが(笑)

しかし、当時はどうしても公務員になりたくなかった。

父から言われた「好きにせい、どこに行っても良いし、なにしても良い。」という言葉と、母や祖父母から言われた「あとをつげ」という言葉を、両立しようとしていました。

我ながら、本当にめんどくさい性格です。

私は発達障害の当事者なので、文字通りに受け止めてしまうんですね。

大学4年生で就職活動をスタートした頃から、迷走をはじめました。

詳しい話は、また別の機会で。

◎毒親という概念は、いつから普及したのか?

母自身も「毒親」に育てられ、「毒親」の被害者でもあります。

しかし戦前の日本では、親が就職と結婚の世話をするのが普通だっとそうです。

日本には「家制度」があり、天皇家も大名も経営者も百姓も、世襲が当然だったのです。

長男が家督を継ぎ、大部分を相続させる代わりに老親の面倒をみる。

次男三男四男・・・は奉公に出し、女子は嫁がせる。

結婚も就職も、親が面倒をみるのが当然という価値観でした。

とうぜん「毒親」なんて価値観は、なかったはずです。

いったい、なぜここまで急変したのか?

GHQによる民法改正、「家制度を崩壊させる」狙いが的中したと考えざるをえません。

GHQによる家制度崩壊、そして産児制限の影響が、現在の少子高齢化に直結している。

◎「毒親」という思想は、民法改正による影響

旧民法が改正されて、人々の価値観が変わるまで3世代は必要でしょう。

現在は、価値観の移行期間といえます。

親の影響下で育った団塊世代が、同じ価値観を団塊ジュニア世代に求めた。

しかし世の中は「個性」「自由」が賛美されておりギャップを感じる。

個性と自由がないと自分らしくないと思い込み、親への反発心が生まれ「毒親」認定してしまう。

私は「毒親」専門家でもなく、個人的心情を勝手に書いているだけで、上記が正しいか正しくないかはわかりません。

しかし当事者として、当たらずとも遠からず、という内容にはなっていると思います。

「毒親」に悩む人は、うつ病になりやすいと思います。

どうか、お気をつけください。

 

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