「人を動かす力」がある人物の共通点。悲しみや苦しみを背負って生きている。そして自分を「悲しみの最後の人」にしようと頑張る人が多い。

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うつ病休職335日目です。昨日、【日本でいちばん大切にしたい会社シリーズ/坂本光司著/あさ出版】の書評を書きました。今日は「日本でいちばん大切にしたい会社4」に収録されている「株式会社障がい者つくし更生会」をご紹介します。公式WEBはコチラ

(株)障がい者つくし更生会は、福岡県大野城市にある廃棄物処理施設を運営しています。「株式会社」であり、行政からの補助は受けていません。障害者本人や保護者が自ら出資して、出来上がった組織です。多くの企業・役所が視察に訪れているので、ご存知の方も多いでしょう。

私が感銘を受けたのは、創業者のエピソードです。以下、本書から抜粋してご紹介します。

創業者の小早川さんは、大正14年福岡県生まれ。1945年終戦直前に召集され、北京の部隊に入隊します。終戦時にソ連軍に捕まり、シベリア抑留を2年3か月もの間、耐え抜きます。帰国したときは22歳。喜びもつかの間、肺結核にかかり長い闘病生活に入ります。働くことは全くできない日が続きます。なんと片側の肋骨を、ごっそり6本とる大手術を行い、左上肢機能障害という障害が残りました。

闘病生活は10年に及び、ようやく病気は完治。就職活動を始めるも、肺病あがりの身体障害者を雇ってくれるところなど、どこもありませんでした。手に職をつけようと思い、費用を工面してラジオ修理の技術免許を取得。それでも、どこも雇ってくれません。

とうとう小早川さんは、自分で会社を立ち上げます。資金は、義母が内職で細々と貯めていたなけなしの10万円を出してくれました。実に32歳の時です。その後、結婚し2人の子供を授かり、子供たちを立派に成人させます。

やがて小早川さんは、障害者のための活動に関わるようになります。小早川さんが還暦を迎える直前、大野城市・春日市の不燃物処理工場の建設計画の情報が飛び込んできます。小早川さんは、この仕事を障害者団体にやらせてほしいと掛け合います。ところが、すでに工場の仕様がほぼ決まっていて、本当はどうしようもないタイミングだったのです。

しかし小早川さんは、諦めません。その猛烈なエネルギーを支えたのは、「障害者であるがゆえに働くことができない苦しみや悲しみは、自分を最後にしたい」という思いでした。両市の市長(大野城市・森山幸雄氏。春日市・亀谷長栄氏。)が小早川さんの声に耳を傾け、議会を説得してくれたそうです。

小早川さんは自分の会社は廃業して、「株式会社障がい者つくし更生会」の経営に専念します。その後、従業員の一人が工場で亡くなり、労働基準監督署のチェックが入ります。その時、従業員全員が「自分達に非があった。小早川さんは悪くない。」とかばったそうです。すごいエピソードですね。同社の公式WEBでは、視察や講演会の情報を見ることもできますので、ぜひご覧ください。

 

以上、駆け足でご紹介しましたが「日本でいちばん大切にしたい会社」シリーズには、このようなエピソードがたくさん、つまっています。ぜひ、手に取って読んでもらえたら幸いです。勇気が出る、元気が出る書籍です。坂本光司先生、ありがとうございます。

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